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慰霊塔「礎」護持会を引き継ぐに際して |
2・3世:世話人一同 |
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< あいさつ > |
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いかにお元気な同期生の世話人の方々も、齢を重ねられ、すでに米寿を越えられ、少し負担が大きくなってきています。この先ことを見通し、2・3世が同期の方々を見習いながらかつ助言を受けて、お世話をさせていただくことにいたしました。 |
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< 引継ぐに際し > |
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ご健在の同期の方の現況は、戦後ほぼ70年を経て、全生徒2,840名のうちの五分の一の550名程度になっています。この間、戦後33年にあたる昭和52年に慰霊塔建立の議を決められ、高野山の地に慰霊塔「礎」を建立されましたのが、昭和54年の秋であり、以降32回の例祭が執り行われてきています。引き継ぎます我々2・3世の世話人は、今日お元気な方々全員を見送らせていただける日を目標としていきます。
戦後生まれの世代にとっては、護持会の「絆の強さ」は想像を超えるものがあります。
その「絆の強さ」の根拠を推察してみるに、先ず陸軍士官学校が海軍兵学校と並び日本の軍隊の「礎」を担うべく若い人材育成を目指す学校であり、全国の旧制中学から選ばれし、優秀な人材が集い、かつ胸中に秘めたる「純粋に国を思う」点でも、一致していたことにあるのでしょう。
そして、卒業即戦場に赴くべき状況下において、己の人生をそこに委ねさせていく志を、各々が漸次確かなものにしていったはずです。すなわち青年将校として備えるべき資質を確固たるものにすべく、予科・本科での日々の厳しい日課を修め、かつお互いが切磋琢磨するなかで、この絆は強いものになっていったのでしょう。その間、予科を終えた後に経験する、士官候補生としての隊付きの体験は貴重であり、何事にも換えがたいものであったはずです。旧制一高・三高のちの東大・京大あるいは早稲田・慶応といった一般の学生とは、自ら「国を守る」という心構えでは、自ずと異なっていたはず。寧ろ、異なっていて当然だと思います。しかし、やむなく時代の要請により、己の志を変えざるを得なくなった若者たちの胸中も、心に刻んでおく必要があります。
そして、志と異なってしまった、「国敗れて山河あり」のあの暑い夏の日から今日まで、常に前を向き、着実に歩んで来られた方々です。その成果が、人的資源の他に資源のない小国・日本を、世界に例を見ない経済大国として、蘇えらせたのです。
同期の方々の「生き様」をみせて頂いてきた世代としては、ご健在の方々に安心をしていただき、天寿を全うされた時には、先立たれている同期の方々に報告していただけるよう勤めていきます。平成23年から、慰霊塔「礎」護持会主宰の「例祭」から菩提寺赤松院主宰の「法要」に変わりましたが、これまでの志を引き継いでまいります。
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