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 由 来 記

世界に風雲急を告げた昭和14年、我等選ばれて陸軍将校生徒となった。
折から第二次世界大戦が欧州に始まり、次で昭和16年12月、我が國も大東亜戦争に突入するに到った。戦局酣のこの時、我等夫々の武窓を巣立ち勇躍全戦域に赴き、青年将校として弾雨の間に戦うこと約3年、事志に反し祖国日本は戦に敗れ、悲憤の涙を呑んで矛を収めた。時に昭和20年8月15日、我等は若冠22歳の頃であった。この大戦において、祖国の必勝と大東亜諸民族の独立繁栄を念じて散華した同期生は約半数の多きに達した。
戦後の廃墟の中に我等は新しい職域を求め、祖国の復興にその情熱を注ぎ、何時しか30余年を経て、今や日本は世界有数の経済大国として驚異の発展を遂げるに至った。
この間更に病に倒れた友も又少なくない。
我等齢既に知名を数え、職域環境は夫々に異るも、友情のきずな日を追うて固く、亡き友への追憶の情も又益々深まるを覚え、胸奥深く往時の誇りを持ち続けている。昭和52年あたかも終戦33年忌の年に当り、今は亡き友の霊と共に全生存者共々永劫に一処に集うべく、澎湃として建碑の議起り、ここ高野山奥の院の霊域の一角をその所と定めた。
同期の友よ、志を同じうし共に生死を盟約した心の友よ、日本歴史の激動の一齣に青春の情熱を祖国と民族に捧げた若き日の想出を語らいつゝ、「貴様と俺」として末永くここを安らぎの場所として集おうではないか。
国の礎石たらんと志した我等の赤誠と追悼録の誌名とに因み、「礎」の一字を本塔に刻し、全同期生2840名の氏名を誌し、本日建立除幕の儀を行い、永遠にその名と友情の証を留めるものである。

昭和54年9月30日
             陸軍士官学校 第五十六期生
陸軍航空士官学校 第五十六期生
陸軍経理学校 第五期生
満州国陸軍軍官学校 第一期生